なくしたものとか、見つけたものを、音楽とか、文章とか、絵画にしてみました。
ひょっとしたら、なくしたものが、見つかるかもしれません。

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【文】ビスケットを食べる、ということ

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彼がやってきたのは、たしか、岡田阪神が優勝した翌年の秋だったように思う。(いや、彼女、か?何しろビスケットなので、僕には性別が分からないのだ。面倒を避けるために、便宜的にここでは男性としておこう。)
 
とにかく、だ、
彼は突然やってきた。

「やぁ、久しぶり。近くを通りかかったら、懐かしくなってね。」

と言い、

「君と僕の仲だから、ちょっと上がらせてもらうよ」

といきなり部屋に上がろうとした。
 
僕は慌てて、

「ちょっと待ってくれよ。僕は君のこと知らないし、会ったこともないと思う。」

と制止した。
彼は、これだから困るんだな、という顔をしながら、こう言った。

「君は自分の記憶がすべて正しいと言い切れるのかい?君も現実とあまり変わらない夢を見ることがあるだろう? 起きてすぐは、起きたばかりという状況から”今のは夢だったんだ”と脳は認識して、その記憶を夢だと判断する。
でも、どうだろう。夢というものは直前に見た部分以外はほとんど忘れていないか?現実とあまり変わらない夢の場合は特にそうだ。その忘れていた夢の断片は頭のどこかに残っているかもしれない。そうは思ったことはないかい?」

「確かにそういうことはあるかもしれない。」と僕が言うと、彼は、そうだろう?という感じの微妙な表情をしてこう言った。

「じゃあ、その残存している夢の記憶が、あたかも現実のこととして過去の他の記憶と間違って統合されてしまう可能性だってあると思わないか? その逆に過去の自分の記憶が夢の断片と一緒に夢として片付けられて消失してしまう可能性だって考えられるだろう? 統合失調と健常のボーダーラインなんて、あいまいで危ういものなんだよ。」
 
僕が反論できずにいると、彼は、

「まぁ、最初は受け入れられないだろうが、事実僕は君のことを知っているが、君は僕を知らない。そういうことなんだよ。」

と彼は言い、僕の部屋に上がってきた。
 
なんだかんだで彼はそのまま僕の部屋に住み着いてしまった。
途中で何度か食べてやろうか、と思ったが、そのたびに「記憶の正確さに対する問い」が頭の中に現れ、僕は食べるのを思いとどまった。
 
確かそれから3年くらいたったころだったと思う。
彼は3年たっても、カビひとつ生えず、肌もツヤツヤしていた。
常々、彼は自分の賞味期限の長さを自慢していたが、確かにその通りだった。
彼は突然僕にこう言った。

「さて、私も賞味期限が近付いてきた。そろそろ食べてもらうとするよ」

あまりに突然で僕は驚き

「いや、3年も一緒にいて、突然「食べろ」と言われても、気持ちが整理できないよ。」

と言った。
 
彼は、

「君はこれまで何枚もいや、何百枚、何千枚もビスケットを食べてきたんだろう?それと同じだ。それとも食べずに賞味期限切れになってカビが生えだした僕をゴミ箱に捨てるのかい? それが自分の良心の証明になるとでも思っているのかい?」

僕はどうこたえてよいのかわからず、黙っていた。
彼は、

「さぁ、食べるんだ。食べないということは捨てるということなのだ。それが善なのか?そんなわけはないだろう?」

と畳みかけてきた。
僕は決心して、彼を食べることにした。
食べる前、彼は「スイッチを切った」ようにしゃべらなくなった。
僕は余計なことを考えず、ただ「ビスケットを食べる」ことに集中した。
彼を前歯で2つに割り、半分ずつを奥歯ですりつぶして、食道に流仕込んだ。
唾液でペースト状になった彼が喉を通っていくときの感触は生きているうちは忘れられないだろう。
彼がすべて僕の消化器に収まったあと、

「ビスケットを食べる、というのは、こういうことなのだよ。わかるだろう?」

と彼は僕の中から問いかけてきた。

「これから先も君はビスケットを何枚も、何百枚も、いや、何千枚も食べるだろう。それは、君がその重みを背負って生きていく覚悟が必要ということを意味しているのだよ。」
 
えーっと・・・
ビスケットを食べようとして、妄想と付き合ってたら、こんなことになっていました。
つまり、これが、「秋にビスケットを食べる」ということなのだ、と思いましたとさ。

 ・・・

今週のお題「ビスケットを食べるということを考える、の秋」